2016年、F1のピットタイムは1秒台に突入した。その瞬間を生み出したチームの一人が日本人メカニックの白幡勝広だ。母校での教員生活を経て単身渡英。地道に人脈を切り拓き、「F1をやりたい」の一心でF3チームのメカニックの座を勝ち取った。しかし、F1のピットクルーになるまでの道のりはまだ長い。ようやくF1チームとの面接にたどり着いたのは、欧州生活が3年目を迎えた2006年のことだった。
ドタキャン、面接落ち、それでも…
白幡氏は連日履歴書をF1チームに送りまくっていた。まれに他チームの採用情報や不採用の返答などが返ってくるようになった頃、ついにBARから面接への招待を受け取った。張り切って準備や対策をして迎えた面接前日、先方の担当者に確認の電話をかけると「採用者が決まったので来なくていい」という言葉が返ってきた。
「俺の準備や船のチケットはどうしてくれるんだ?そもそも黙っていけば面接はしてくれたのか?と思いは巡りましたが、とりあえず『事前に電話はしちゃダメだ』という学びを得ました」。
それからしばらく経った年末、ウィリアムズから面接の案内メールが届いた。面接は1月4日。元旦のチケットでイギリスに飛んだ。

白幡氏はホテルのマネージャーに面接の練習相手を頼み込んだ。F1チームの面接を受けることを伝えると、「俺が面接官をやってやろう」と相談に乗ってくれた。
準備万端で臨んだ面接相手は、1992年から2014年までウィリアムズのチーフ・メカニックを務めたカール・ゲイデン氏。面接では経歴や熱意などを語ったが、面接後のホテルで開いたパソコンには不合格の文字が映った。しかし、メールの続きには、日本へ帰国予定の1月6日にテストチームの面接に招待する旨が綴られていた。
「慌ててレンタカーを借りてウィリアムズの工場に駆け付けました。最初は面接然としていたのですが、途中から具体的な仕事の説明になってきたのでおかしく思い、自分の合否を聞いたらその場で合格をもらいました」。
驚く白幡氏に面接担当者は続けた。「今の君の仕事は今夜の飛行機に乗り遅れないこと。それから、ワークパーミット(労働許可証)の取り方を勉強して人事と相談すること」。ベルギーのチームにウィリアムズへ転職することを伝えると、F1への思いを知っていた仲間たちは、残念がりながらも祝福とともに白幡氏を送り出した。
2006年、16年9カ月におよぶF1チームでの生活が始まった。
テストチームで始まったF1キャリア
ウィリアムズのテストチームの一員となった白幡氏は憧れ続けたF1マシンに携われるようになり、情熱を爆発させた。
「なんでもやりたい、全部やりたいという気分だったので、『今日はめんどくさいな』とか言ってる人がいたら『じゃあ俺がやる!』と言うくらい朝からハイテンションで過ごしました。当時はウィリアムズのドライバーを務めていたニコ・ロズベルグに会ったことよりも、『これがロズベルグのアクセルペダルか…』と部品に燃えましたね」。
「Practice Makes Perfect(継続は力なり)」を座右の銘に掲げ、「なんでもパッとできる方ではない」と語る不器用さをがむしゃらな練習と勉強で埋め合わせた。


F1チームは世界を転戦する大企業だ。2台のマシンをチェッカーフラッグまで送り届けるために、当時で800名、現在は1,000名規模の会社として活動しているという。経理や人事はもちろん、チームの移動を管轄する「トラベルオフィス」や、現場のサーキットでインターネットを確実に接続させるためのエンジニアも在籍している。
中でもタイヤ交換をするピットクルーは花形だ。チームオーナー(当時)のフランク・ウィリアムズ卿もピットストップを見るのが大好きだったという。2008年、ウィリアムズ加入3年目のシーズンにレースチームのメカニックに昇格した白幡氏は、チーム内のタイヤ交換担当のオーディションに合格する。裏では筋力トレーニングや設備を使ったピットワークの練習などでひたすら腕を磨き続けていた。
「工場にはF1マシンを模したピット練習用の器具があるんです。タイヤが動いてきて、ピットストップの位置で停止すると少し持ち上がる。そのタイヤを僕たちが脱着します。他の人よりは自信がありましたが、それでもポジションを奪われないようにコソ練を続けました」。
練習の中には映像を使った他チームの検証も含まれる。あらゆるチームのピット映像を見つめ、最適な動作の組み合わせを研究した。
ついに破った2秒の壁
ウィリアムズで白幡氏がベテランメカニックの座を確かなものにしていた2016年、チームのピットワークは熟成が進み、2秒以内にマシンを送り出すことが現実味を帯び始めていた。フランク・ウィリアムズ卿も「2秒を切ったらボーナスを出す」と宣言。チームは前人未到の記録樹立に燃えていた。
ヨーロッパGPでその記録は出た。フィリペ・マッサがピットインしてくると、21名のクルーがマシンを取り囲む。ジャッキが上がると瞬く間に4本のタイヤが交換され、着地したマシンは無事にピットを去った。
その間1.92秒。コースに戻ったマッサからは「本当に止まったのか分からなかったよ!こんなピットストップは見たことがない!」と無線が入った。しかし、白幡氏の反応は淡泊だった。
「見たことあるわけないですよね。世界記録なんですから。でも、各タイヤは1秒台で交換できていることが多いんです。しかもレース本番ではミスがないように練習よりゆっくり交換します。ポイントは4輪すべてが同時に交換できることなんです。作業自体は脳よりも速く体が動いています」。
問題はこの後起こった。ボーナスは誰に支払われるのか。フランク・ウィリアムズ卿はピットクルーに対してボーナスを宣言していたが、ガン(ナット交換用工具)やナットのデザイナーにもボーナスの情報が漏れていた。
「フランクは『誰にも言うなよ』と言っていたんですが、漏らすヤツはいるんですよ。結局ボーナスの話は工場全体に触れ渡り、ひとりひとりに渡った額は微々たるものでした(笑)」。

F1に憧れ、教職を飛び出して単身渡欧。33歳でテストチーム入りという遅咲きの努力人は、2022年にウィリアムズを勇退した。2024年からはフジテレビNEXTのF1解説者として新たなステージに挑戦している。
新たな夢は「月曜日の午前は日曜日のレースの話で昼まで仕事にならない」ような社会を生み出すことだという。夢中になれば人生は変わる。そう信じる人の背中を、&RaceとGoTakeはこれからも応援し続ける。

