1.92秒。これはF1マシンが停止してからジャッキによってリフトアップされ、4本のタイヤが交換されて再びマシンが走り出すまでの時間だ。ピットボックスの男たちは一斉にマシンを取り囲み、ドライバーを再びコースへ送り出すことに人生をかける。
2016年のF1ウィリアムズチームで、ピットストップの世界最速タイムを樹立したチームの一員、白幡勝広氏に、モータースポーツとの歩みを伺った。
F1のチャンスを求めて単身渡英
白幡氏は、勉強は苦手だったが手を動かすこととクルマが好きな中学生だったという。自動車に関わる仕事を探して工業高校、東京工科専門学校と進学した。専門学校卒業後は当時のJTC(現:SUPER GT)のグループAに出場していたハセミ・モータースポーツにメカニックとして就職した。
「学生時代には国内レースのメカニックを目指していましたが、F1のメカニックになることは夢の選択肢にも入っていませんでした。F1への思いが募ってきたのは、5年間のメカニック活動の後、オファーを受けて母校の東京工科専門学校に教員として戻ったときでした」。
専門学校で教え始めた頃は、教員として他人行儀に話す感覚が「電車の中で話しているようだった」という。しかし、次第に学生と打ち解けていくと、学生からは「かっちゃん、これわかんないよ」と親しげに話しかけられるようになった。担当は2級整備士のカリキュラムで、「わかりやすいように教える」をモットーに、教師業に励んだ。
当時の白幡氏は教え子にF1の世界で戦う夢を託そうと思っていたが、学生たちには絵空事のように受け取られた。学生に留学の方法や、F1チームにたどり着く方法を教えるために自分で調査を始めると、イギリス・オックスフォードの周辺に関係者が多いことを知る。

そこからの判断は早かった。自分がF1のメカニックになることは想定せず、自分の体験談を土産話として持ち帰るつもりで2003年に単身渡英。5年間教鞭をとった職場から退職したが、学校からは「いつでも戻ってきてくれ」と送り出された。
イギリスでは初日からクイーンズ・イングリッシュの洗礼を受ける。腹を空かせて駆け込んだマクドナルドでハンバーガーのセットを「テイクアウトで」と頼むと、店員は「テイクアウト?」とそらっとぼける。イギリスでは「テイクアウェイ」なのだという教訓が最初の学びになった。
「F1がやりたい」と泥臭く人脈づくり
イギリスに渡った白幡氏に現地の人脈はなく、英語でのコミュニケーションもままならなかった。それでも単身で海外に挑戦したのは、一人で動けるフットワークを求めての判断。英国生活の第一歩は現地のオックスフォード・ブルックス大学の語学コースへの入学だった。語学学校を選ばずに大学を選んだのは、いち早くイギリス人の友人を作るためだったという。
「オックスフォード・ブルックス大学にはモータースポーツ学科もあったので、入学後はすぐにモータースポーツ学科の先生を探し回りました。GT(JGTC)の写真を見せては『F1をやりたくてイギリスに来た』と言って回っていたらモータースポーツ学科の先生を紹介してもらえました」。
ようやく出会えた教員からは、「他のイギリス人に会って話す機会ができる」と、毎週日曜日のミサに誘われた。それ以来、白幡氏は毎週日曜日になると自転車で教会に通うようになった。
「イギリス人はみなF1が好きで、先生が『この子こういう人で F1をやりたくてイギリスに来たんだ』と紹介してくれると、口々に『頑張ってね!』と声をかけてもらえました」。
ある日、語学の教員から進路の関係で語学学校への転校を勧められた白幡氏は、転校先の職員に英語の勉強動機を聞かれ、ためらわずに「F1をやりたくて来た」と答えた。職員の反応は「私の先生の旦那さんがF3チームのマネージャーをしているから会ってみる?」。答えはもちろんイエスだった。
白幡氏は電話番号を受け取ると、片言の英語でなんとか会う約束を取り付けた。アポの場所はF1イギリスGPが開催される、シルバーストーンにあるF3チームの工場。その日は工場を見学し、自分のキャリアが少しずつ前身している事実を噛みしめてオックスフォードに戻った。

自室でインターネット検索をしていると、シルバーストーンで近々F1の合同テストが開催されるという情報をキャッチした。F1チームと顔を合わせるチャンスをどう活かすか教員に相談したところ、履歴書の持参を勧められた。
白幡氏はさっそく本屋に駆け込んで履歴書のハウツー本を購入。インターネットでも調べつつ、教員に添削してもらった履歴書を持ってバスを乗り継ぎ、シルバーストーンに向かった。渡英して2ヶ月少々。熱意を燃料にF1チームへの体当たりエントリーを始めた。
合同テストでF1チームへの突撃を開始
シルバーストーンに到着した白幡氏のバッグには履歴書とテスト観覧の入場券。素知らぬ顔で関係者専用のテスト会場に入り込もうとしたところ、案の定ガードマンに止められた。F1のマシンは目の前にある、履歴書も準備してきた。このままでは帰れない。なんとかならないかとサーキットの周りを歩き回っていると、金網の鍵が開いている場所を見つけた。
「『入っちゃおうか』という思いと、『もう一回止められたら大変だ』という思いが入り混じっていたところで掃除係のおじさんを見つけました。GTの写真と履歴書を彼に見せて『俺、F1をやりたくて来たんだけど、そこ通ってもいいかな?』と聞いてみると『お前F1をやりたくてわざわざ日本から来たのか!じゃあ今日だけだぞ』と言われたので堂々と中に入りました。後から考えると彼にその権限はなかったと思いますが…」。

パドックにはウィリアムズ、ベネトン、トヨタ、ジョーダンの4チームがガレージを構えていた。白幡氏は履歴書を持ってパドックを回ると、ジョーダンとベネトンからは工場に履歴書を送るように言われた。
「ウィリアムズに至っては声をかけたスタッフがケータリング担当でした。でも、こちらからしたら誰がケータリング担当で、誰がマネージャーかなんてわかりません。最後にトヨタでも声をかけたら『ウチの本拠地はドイツだよ』と言われてしまいました。しかし、『ドイツでもどこでも行きます!』と食い下がったら、その人は話を聞いてくれました」。
トヨタのガレージからテストを見学し、帰り道もガードマンに見つからないようにフェンスを飛び越えてシルバーストーンを後にした。結果的にトヨタと縁があったわけではなかったが、トヨタが唯一、人事部から返答のあったチームだったという。


