転校を機にF1への縁が広がり始まる
渡英してから数ヶ月が経過し、白幡氏は留学費用を抑えるために転校を決めた。大きな転機が訪れたのは、新たな語学学校でも「どうしてもF1チームでメカニックになりたい」と言ったときのことだった。職員から「F1チームで働いている人のいるホストファミリーの家に住みたい?」と聞かれた。
二つ返事でイエスと答えると、学校側はすでに入居していた学生を移動させて白幡氏を件のホストファミリーに送り込んだ。ジョーダンで働いていたホストの男性は、軽い口調で白幡氏をジョーダンF1チームの工場へ連れて行った。F1の組み立て工程や説明に感銘を受けていると、今度はホストからジョーダンに勤める日本人デザイナーを紹介された。
その人物は1998年からジョーダンのデザイン・設計に携わっている羽下晃生氏。話をしているうちに、イギリスF3のチームで働く日本人メカニックを紹介された。そのメカニックからはベルギーのF3チームで働く日本人エンジニアの紹介を受け、白幡氏はそのエンジニアと出会った際に翌年度のメカニック採用の噂を聞きつける。
2004年1月、イギリスで例年開催されている「オートスポーツ・インターナショナル」に、ベルギーのF3チームがやってきた。そこで白幡氏は先方の社長と出会い、そのままイギリスを後にしてベルギーでの就職が決まった。試用期間の働きにも納得され、正式にヨーロッパのレーシングチームに所属するキャリアが始まった。

「ベルギーがどこにあるかの土地勘もない状態でイギリスから離れてしまいました。当時は『活動範囲=ヨーロッパ』という捉え方でした。今となっては活動範囲が広がって『活動範囲=地球』ですけど(笑)」。
ドーバー海峡を渡り、白幡氏は2年間をドイツF3への参戦に捧げることになる。アクセル全開で走るアウトバーンに左ハンドルなど、新たな文化にも出会って心機一転の生活が始まった。
ドイツF3よりF1へ、履歴書を乱発
ベルギーのチームにいたメカニックはメキシコ人、ドイツ人、ベルギー人、そして日本人の白幡氏。全員母語が英語ではないため、本場のイギリス英語が飛び交うよりは楽だったという。とはいえ現地のベルギー北部で話されているのはオランダ語とフランス語のマリアージュ。現地に馴染むため無料の語学学校に駆け込んだものの、気づけば授業がフランス語で進むようになり、話がわからなくなったことでオランダ語のスラングだけを覚えて退学してしまった。
言葉に苦労しながら片言の英語で仕事を続ける日々にも、白幡氏の脳内はF1でいっぱいだった。もちろん黙っていてもF1チームからのオファーなど来ない。募集はめったに行われない。履歴書の乱発を始めた。
「イギリスの会社は、求人をするときに求人広告を出す必要があるんです。でも、広告を出した時点で内定者が決まっていることはザラでした。だから僕は募集がかかっていないタイミングにも履歴書を送りまくりました。『もう送ってくるな』と言われるまで乱れ打ちの押し売りです」。

インターネットが普及して、問い合わせフォームがホームページに設置され始めた2005年。手書きの履歴書を書きまくっていた白幡氏には「メールで履歴書を送ってくれ」というチームからの案内は朗報だった。「これでお金をかけずにアピールできるぞ」押し売りが加速した。


