スーパー耐久ではエンジニアも
モノコレは2018年からジネッタ G55 GT4の輸入販売を行っている。2018年の最終戦岡山ラウンドで「モノコレ GINETTA KAP CUSPA」がスーパー耐久にデビューした。結果は優勝、上々のデビューレースになった。阪氏は参戦開始当初からモノコレチームのエンジニアを務めた。
「スーパー耐久ではプロとジェントルマンドライバーが同じマシンに乗って戦います。チームのタイムを底上げするポイントは、ジェントルマンをいかに速くするか。私はデータロガーで両者の走りを分析し、ジェントルマンがプロに近づく方法のアドバイスなどを行っていました」。
自身が走り込んで体得した技術やエンジニア経験を活かして、自チームのドライバーへノウハウをフィードバックすることが阪氏の役目だった。
「レースはチームスポーツ。とんでもないトラブルやクラッシュも起きますが、クルマや運転を煮詰め、描いた理想を実現できた時の喜びは代えがたいものです。そのひとつの形が22年のもてぎで飾った優勝です」。
ジネッタのラストランは自分で
ジネッタG55はホモロゲーションの関係などで、2022年での撤退が決まっていた。常にマシンの横で強みや弱み、クセなどをエンジニアとして見つめ続けていた阪氏は、「ジネッタのラストランになるなら自分が乗ろう」と決めた。
Aドライバーとして第6戦岡山ラウンドにエントリーし、結果はクラス5位完走。自身のドライブでジネッタG55のスーパー耐久ラストレースを締めくくった。
ヒーローを生み出す裏方として
モノコレのジネッタはスーパー耐久から撤退した。だが阪氏自身は今もモータースポーツとかかわり、多くのSUPER GTやSUPER FORMULAのドライバーをカート時代から支えている。
たとえば一緒にスーパー耐久で走った安田裕信選手とは、彼がカートを始めた日から一緒に歩んできた。またF1の角田裕毅選手や、F2で活躍する岩佐歩夢選手もカートからフォーミュラへのステップアップを支えたという。
阪氏にとって、レースとは何か。
「モータースポーツはほとんどが自己満足の世界。しかし満足するまでやり切った経験は人生の糧になります。全力でレースしてきた経験が、今の自分を支えていると思います」
最後に今後の目標を聞いた。
「海外のレースにスポット参戦して、その経験や魅力を伝えることでレースのすそ野を広げたい。そしてこれからもモノを通して、ヒーローを生み出す裏方としてレースに貢献したいですね」
阪直純 略歴
年度 | レース | 戦績 | チーム・車種 |
---|---|---|---|
1975生 | 8/2生 | ||
1989 | SLカートレース | レースデビュー | YAMAHA RC100SD |
1991 | オランダ選手権 ナショナルクラス メカニック参戦 | 1勝 | オランダ PDBレーシング |
1992 | 全日本カート競技選手権デビュー | 予選27位 | |
1992 | WORLD CUP KART FA | 10位 | DINO KART |
1996 | 全日本カート競技選手権西地区第6戦 | 優勝 | DINO KART |
2001-2003 | Vitz Race | 最高2位 | IDI エルグスポーツVITZ |
2004 | monocolle 設立 | ||
2005 | カートレース IN SUZUKA RMCクラス | 5位 | モノコレwithファインアート |
2006 | MARCH CUP西日本シリーズ | 最高4位 | エルグAXISモノコレマーチ |
2017 | 86/BRZ Race クラブマンシリーズ第9戦鈴鹿 | 予選6位 | モノコレ☆HIROTEX☆86 |
2018 | スーパー耐久 富士 ST3クラス スポット参戦 | クラス8位 | TECHNOFIRST RC350 |
2019 | FORMULA エンジョイ鈴鹿クラブマンレース | 2位 | ホンダカーズ東京都 モノコレ |
2022 | スーパー耐久 富士 ST5クラス スポット参戦 | クラス11位 | Autolabo/T&I Racing 素ヤリス |
2022 | スーパー耐久 富士 STZクラス スポット参戦 | クラス5位 | テクノ・SUN’S・モノコレ G55 |