2021年10月にオープンした体験施設「ポルシェ・エクスペリエンスセンター東京」でインストラクターとして活動しながら、レーシングドライバーとして挑戦を続ける鈴木翔也。峠を走っていた少年は、自腹で愛車を整備しながら走り込む泥臭い日々を経て、スーパー耐久デビューを果たす。そして今はその先へと視線を向けている。
公式戦デビューまで
鈴木氏とレースの出会いは小学6年生。家族で改修間もない富士スピードウェイへSUPER GTを観戦しに行ったことだった。とはいえすぐに興味を持ったわけではない。「当時はレーシングカーの爆音が嫌で、あまりレースにいい印象を持ってはいませんでした」。
だが連れ立ってSUPER GTを観に行く家族だ。クルマ好きのDNAはしっかりと翔也に受け継がれていた。観戦を重ねるたびにクルマへの憧れと、レースへの思いは深まっていったという。
クルマにのめり込んだのは18歳。家族の影響もあり、アルバイトで貯めた資金で運転免許を取得した。さらに1年かけて貯金し、現在の愛車でもあるアルテッツァを購入。専門学校に通うかたわら、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら夜な夜な峠に繰り出した。「単独事故は構わないが、絶対に人様を巻き込むな」が父の教えだったという。
「当時はクルマに乗れることが喜びで、とにかく走りまくっていました」。
自動車整備学校卒業後は、ディーラーの整備士として働きながらメンテナンスの知識を蓄えた。収入が増えたことで、峠に通う回数は「週8回に増えた」という。
25歳ごろから愛車のアルテッツァなどで地域の草レースに出場を始め、スーパー耐久やSUPER GTドライバーとの交流が始まる。レースで出会ったドライバーの一人から公式戦参戦の誘いを受け、快諾した。
「誘いを受けたのが夏で、出場は秋。貯金もなかったので、Aライセンス取得のためにドリフト車両のマークⅡを手放し、走行と練習に給料をつぎ込みました。それ以来公式戦に出るようになりましたが、以降の生活はすべてをレースに投入しました」。
デビュー後はひたすら練習
2019年に岡山国際サーキットの「岡山 CHALLENGE CUP 2H耐久レース」でJAF公式戦デビュー。マシンは交流があったドライバーから借り受けた、当時現行のFT86だった。
「決勝はマシントラブルで半分近く走れませんでしたが、メカニックの皆さんが必死に直して途中からコースに送り出してくれました。その感謝とレースの格式高さはずっと心に刻まれています。今でも、いちばん思い出に残っているレースはこの時の2時間耐久レース。僕のレースキャリアが本格的に始まったレースです」。
それまで出場していた草レースと比べて高い競技性や運営の質に感銘を受け、本格的にスーパー耐久を目指すようになる。
2021年にはスリックタイヤと高い速度域でのコントロールを学ぶために、フォーミュラカーのSuper FJを練習し始めた。目指すは国内耐久レースの最高峰、スーパー耐久シリーズだ。レース欲をおさえて1年間を練習走行に捧げた。