世界一のドリフト競技「D1グランプリ」でドライバーとして活躍する下田 紗弥加氏。D1に憧れた日から8年、猛練習の日々を越え、2022年に本戦出場を果たした。それまでは年間180日走っても抜け出せないスランプ、クラッシュでの大怪我など、波乱万丈だった。「人生は挑戦なり」をスローガンに掲げる下田氏は「死ぬときに後悔したくない」と、走り続ける。彼女を突き動かすモノについて話をきいた。
ドリフトとの出会いは突然に
高校時代の部活はバレーボール部、卒業後の就職先は一般企業。900馬力のシングルターボエンジンを唸らせる姿からはほど遠い生活だ。モータースポーツとの出会いは、ドリフトとの出会いと同時だった。2014年に東京・お台場のショッピングモール「ヴィーナスフォート」を歩いていると、一枚のポスターが目に留まった。
「D1グランプリ開催」。足を運んだ会場で目に飛び込んできたのは、轟音を上げて駆け抜けるD1マシン。そのサウンドに負けじと湧き上がる観衆。
「スーパーカーのGT-Rと、(当時)どこにでも転がっているシルビアが対等に戦っている。ドリフトは技術で戦えるんだ。なんて面白い競技なんだ。それにこの観客の盛り上がり。こんなに人を楽しませられる競技はなんて魅力的なんだ」。
すぐにドリフト生活が始まった。その「すぐ」さはマニュアル免許の取得を待たずしてサーキットに行き、マシンを借りて走り始めるほど急だった。仕事の貯金でRX-7(FD3S)を買い、毎日サーキットに通い詰めて腕を磨いた。下田氏は当時を「怖いもの知らず」と振り返る。
「私は高校時代、青春をかけていたバレーボールが怪我で続けられなくなる挫折を味わいました。自分が無価値に感じ、目的もなく生きる日々。ドリフトに出会うまでの私を支え、明日を生きる活力を与えてくれたものはエンターテインメントでした。今度は私がエンターテイナーになって誰かに勇気や希望を与えられる存在になりたいと思いました」。
ドライバーとしてカートやラリーなど、他の競技はすべてドリフト技術を高めるために挑戦した。軸はあくまでエンターテイナーとしてドリフトのプロになること。何も知らないところからプロを目指す日々が始まった。
競技シーンの洗礼
マニュアル免許を取得して2年目の2016年には、D1の下部カテゴリー、D1 Ladies Leagueにエントリー。しかしレースは大事故によって中止、翌年はシリーズ休止になったため、挑戦は2018年から本格化する。そこで下田氏は競技の試練にぶつかる。
ライバルはコースを知り尽くしたマイスターやセミプロばかり。2018年には競技1年目にしてポイントを獲得するも、2年目の2019年にはシーズンを通して予選落ちが続き、本戦には出場できなかった。女性ドライバーとして脚光を浴び、取材も受けたが結果が出ない。
「絶対にプロになると決めていたので、周りの視線やヤジには耐えられました。しかし、日本一と自負する練習量をこなしても結果がついてこないことが苦痛でした。年間180日の練習を3年間。それでも予選が突破できない。真っ暗なトンネルをさまよっているような感覚をおぼえました」。
それでも練習を重ね、4年目となった2020年から徐々に結果が出始める。本戦出場回数が増え、ポイントが積み上がるようになっていった。当時の成長を支えた気付きは、馬と触れ合うようにクルマと付き合っていくことだという。
「クルマには性格や機嫌の良し悪しがあります。それを理解してから、クルマと息を合わせられるようになりました。同時に経験と知識が増えたことで、コース攻略などもまとまってきました。成長にともなってメンタルの整え方も変わりました」。
心を無にして、身体に任せる
成績が安定し始めるまでは、練習ではできていたことが本番で再現できなくなる場面が多かったという。ドリフト競技は1本1分未満の一発勝負なので、競技中にミスを取り返すことができない。スタートしたら後戻りや取り返しがつかない瞬間的な競技である様は、さながらスキージャンプだ。
「成績が出ない時期には『ああしなきゃ、こうしなきゃ』と考えすぎていました。普段以上のことを大会でやろうとするからミスが出ます。身体がひとりでに判断して、今できることを無意識にする状態まで持っていくことが大切だと気付きました。本番では意識に邪魔をされないよう、心を無にします。身体には大会で通用する技術を叩き込みます。だから私は走って走って走りまくります」。
走行ペースは2日に1回。3日走らないだけで「最近走っていない」と感じるという。走り込みで感覚と技術を研ぎ澄まし、身体で覚える練習が下田流だ。サーキットの横に住み着いてクルマを走らせまくった。
人への感謝
「モータースポーツはドライバーがフィーチャーされがちですが、私を支えているのは師匠、メカニックさん、そして大勢の仲間たちです。最初は免許がないから当然クルマも持っていませんでした。同じスクールに通う仲間からマシンを借り、サーキットの仲間に支えられて大会に出場しました。挑戦していなければ出会えなかった人と絆を深められたことは、私の大きな財産です」。
今年のD1参戦チーム名は「Mercury 車楽人 VALINO」。ドリフト初心者時代からのパートナーは「師匠」こと元D1ドライバーの佐藤 謙氏。佐藤氏は最初は軽くあしらっていたものの、毎日サーキットに通い詰める下田氏の姿を見て指導することを決めたという。
佐藤氏はドライビングスクール車楽人(下田氏に運転技術をゼロから指導したドリフト&グリップのスクール)を主宰。中学生から65歳まで、幅広い年齢層のドライバーがレンタル・持ち込み車両でプロのレッスンを受けられるスクールを開いている。
下田氏はドリフトを始めて間もなく、マシンが横転する大事故に遭い、割れたガラスが頭にも刺さる大怪我を負った。事故のあとでもすぐに佐藤氏は「今すぐ走ってこい!」と言い放った。「クルマに乗ることも怖いこのタイミングで?」。正気を疑いながら、即席で巻いた頭の包帯を付けたままレンタルのS14シルビアに乗り込んだ。
「後から聞いた話では、あの指導は私にトラウマを作らないための荒治療でした。最初はリアを少し滑らせるだけでも怖かったのに、あっという間に元通り走れるようになりました」。
トラウマを乗り越え毎日の走行に復帰。圧倒的な練習量で競技に向けてまい進した。その後2018年からD1 Lightsに参戦。ドリフトレディース世界大会(北京)で優勝。そして2022年にD1ライセンスを取得し、D1グランプリにもフル参戦でデビュー、そしてそして、ついに2023年、とうとう最初に憧れたお台場の舞台にたどり着いた。
9年前に憧れたポスター、そこに写る今日の私
2023年11月11日から、D1GPがお台場で開催された。ポスターには、あの日憧れたドライバーに並んで下田氏のマシンが躍る。今度は自分が感動や夢を伝える番だ。
思い立ったら即行動。RX-7を即決で購入し、すぐにサーキットに繰り出した。怖いもの知らずの下田氏は、マニュアル免許取得から弱冠2年でD1の下部カテゴリーである「D1 Lights」にも挑戦した。当時を「無謀だった」と振り返りつつも、その判断に一切の後悔はないという。
「無謀さよりも『やってやる』の気持ちが勝っていました。挑戦が生んだ失敗は成長の糧。攻めの姿勢で生き続けて次の扉を開き続けてきました。死ぬときに後悔しないために、やらずの後悔よりやって失敗を選び続けたいと思っています。車楽人はチャレンジしたい方に新しい世界を見せられる場所です。興味があったら足を運んでいただけると幸いです」。