カートを離れ、グランツーリスモの頂点を目指す
優勝を経験して追い風が吹いてきたカート人生だが、大学2年生で一度はサーキットを去ることになる。加藤選手は地元の石野のサーキットでチャンピオンに王手をかけていた。しかし、両親からの資金援助も限界が近づいていた。
「5位以内でチャンピオン」という、実力的にはチャンピオンが目の前にぶら下がっているレースで加藤選手はスタート直後のアクシデントに巻き込まれた。遠ざかるライバルとともに、人生初のチャンピオンは掴みかけた手のひらからこぼれ落ちていった。
「人生で一番悔しい瞬間でした。同時にこれ以上親に迷惑をかけられないとも思い、きっぱりとカートを辞めました」

リアルのサーキットを去った加藤選手の目に飛び込んできたのは、宮園拓真選手が出場している世界大会の映像。「自分も世界に挑戦したい」継続していたグランツーリスモでの練習を本格化させ、2019年にFIA グランツーリスモ選手権の東京ラウンドへの出場権を勝ち取った。
会場は東京モーターショー。世界大会は黒山の人だかりと世界のトッププレイヤーに囲まれての初陣になった。初めて触るハンドルコントローラーと会場の雰囲気に押されたのか、予選のタイムトライアルではトップから2、3秒落ちだったという。
「本番に弱いメンタルなのかと落ち込んでいたところ、イギリス人チームメイトのMartin Grady選手が「Enjoy!」と声をかけてくれました。それで緊張がほぐれ、スタートでは6位から3位にジャンプアップ。気付けば誰よりも冷静にレースを運べていると思いました。大会はものすごくEnjoyできましたし、仲間や父も見に来てくれて心の底から気持ちの良い体験でした」
「I like “start”」と、英語が得意でないながらもスタートドライバーを務めたいという思いを伝えて結果を出した経験が今に繋がっているという。レース後はチームを組んでいたMartin Grady選手とHayden Hunter選手の視線が変わったと語る。
その経験や猛練習が助けて、加藤選手はネイションズカップ日本代表の座を獲得する。しかし時は2020年、コロナ禍があらゆるオフラインイベントを閉鎖に追い込んでいた。オーストラリアやモナコなどで開催されていたグランツーリスモのイベントも例外ではなかった。
実力を買われてリアルでのレースを再開
コロナ禍で意気消沈している加藤選手に声をかけてきたのは、マツダ・ドライビング・アカデミーのインストラクターにして、2011、2012シリーズチャンピオンの加藤彰彬選手だった。一度は諦めたリアルレースへの再挑戦に加藤選手は奮い立ち、ロードスター・パーティレースへの参戦を決めた。
「ちょうどグランツーリスモの大会がオンラインの禍になって刺激の足りなさを感じていました。また、カート以来ずっとリアルのレースに戻りたいという思いがありました」
愛車はカップカーであるNR-Aグレードのロードスター。2023年の東日本シリーズ参戦に間に合わせるため、開幕戦前夜にマシンを仕上げて筑波サーキットに乗り込んだ。しかし予選でトップから2秒近くタイムを離され、決勝はボーナスレース行きとなった。


「ぶっつけ本番で散々な開幕戦でした。でも、やっぱりリアルのレースは最高です。この時にマイカーでレースに勝ちたいという思いが芽生えました」
加藤彰彬選手の指導を受けて第3戦では早速ポールトゥウィンを果たす。同レースにはグランツーリスモで背中を追いかけた宮園選手も出場していた。同じグランツーリスモ出身ドライバー同士として、教え合いながらリアルとバーチャルの差を埋めていったという。
リアルのレースでも結果を出せることに自信がついた加藤選手は2024年にCABANA Racingのサポートを受けて全国転戦を開始。シリーズ8戦の全レースで大量ポイントを獲得し、念願のチャンピオンを獲得した。リスクの少ないクレバーな走りでチャンピオン争いをするライバルを抑え込んだ。カートでチャンピオンを逃した悔しさが、ポイントにどん欲な走りを実現したという。
「チャンピオンになることがチームへの恩返しと今後に繋がると思って走りました。CABANA Racingでのシーズンは、マイカーで出場しているときとは全然別物です。2022年チャンピオンの箕輪卓也選手のお父さんがメカニックとして速いマシンを作ってくれるので、結果を出せなければ遅いのは自分だけ。スキルとコミュニケーション、共に学ぶことの多いシーズンでした」


最高峰レースに到達
ロードスター・パーティレースでシリーズチャンピオンを獲得したことで、加藤選手のキャリアはさらに高みへと開かれた。マツダのチャレンジプログラム「バーチャルからリアルへの道」の1期生として初めてスーパー耐久ドライバーに抜擢され、激戦のST-5クラスに参戦し始めたのだ。グランツーリスモからリアルのレースに飛び出してわずか3年目にして、加藤選手は国内最高峰カテゴリに歩を進めた。
グランツーリスモ、マツダ・ファン・エンデュランス、ロードスター・パーティレース、スーパー耐久と連なるステップアップの道が、マツダがバーチャルの優秀なドライバーをリアルの格式あるレースへ導くプログラムの全体像だ。
「SUPER GTで見たRX-7に憧れて以来、ずっとマツダのクルマで走ってきて、MAZDA SPIRIT RACINGからスーパー耐久に参戦できたことには運命を感じています。リアルのレースから遠ざかっていた僕にチャンスを与えてくれたマツダやお世話になった方々に感謝し、目指すはチームでの24時間レース優勝です」


スーパー耐久で120号車を駆る加藤選手は「マツダといえば加藤」と言われるドライバーになるべく邁進している。「バーチャルからリアルへの道」の開拓者は一度諦めたサーキットに、大きくなって戻ってきた。「最後に踏み切ったのはいつだったっけ…」と思いながら去ってしまうには、レースはあまりにも楽しい。
「もう一度走ってみたい」「今からでもレースに出てみたい」加藤選手のレクチャーは、きっとそんな思いの背中をスターティンググリッドまで押してくれるだろう。