ハコ車への転向、キャリアの再スタート
キャリアの突破口になった86/BRZ Race
小学生時代に中断した元嶋選手のレースキャリアは、SRS-Fのスカラシップで息を吹き返すが、Super-FJの日本一決定戦優勝を最後に、フォーミュラの道は閉じられようとしていた。そんなある日、雑誌で当時新車だった86/BRZのワンメイクレース「86/BRZ Race」の若手育成オーディションが目に留まる。
「これだ、と思い応募してオーディションを受けました。チームには加入できましたが、資金と走りの両面で苦労しました。フォーミュラ乗りからすると、クルマの動きやレース中の距離感が全然違います。並み居るベテラン達との接近戦は、勢いだけの若手には難しい戦いでした」。
しかしこの86/BRZ Raceがツーリングカーレースの舞台を大きく広げることになる。同じダンロップタイヤを使用する坂本祐也選手がCOX社に所属していた縁でPCCJへの参戦が決まり、86/BRZ Raceでの走りがENDLESS・花里功会長の目に留まり、スーパー耐久のシートも決まった。
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攻めの走りで掴んだドイツ行きチケット
「今だから言えることですが、86/BRZ Raceの中段でいつも大暴れしていたら、花里会長が『若くて元気がいいのはいないか』と仰っていたところに紹介してもらえました。2015年からはプロとしてスーパー耐久と86/BRZ Raceに出場できるようになり、初めて資金を持ち込まずにレースができるようになりました。
人のお金で走ることになっても走り方は変わらず、自分の感覚でレースをしていたので、やんちゃさが問題になることも。今考えると危ないことをしていましたが、若さと勢いがなせる業ですね。スーパー耐久への参戦はENDLESSの86に乗ることになると思っていたら、BMW Z4のGT3マシンでした」。
攻めの走りを貫いたことで、2015年にはスーパー耐久とPCCJでダブルチャンピオンを獲得した。ポルシェ・ジャパンの関係者から「チャンピオンを獲ったらヨーロッパに連れて行く」と言われていた約束を果たし、ドイツ・ラウジッツリンクで開かれたのスカラシッププログラム「Porsche Motorsport Junior Programme」のオーディションに参加した。
「ドイツではすごいドライバー達に囲まれながらも何度もトップタイムを記録して自信がつきました。しかし、ワークスドライバーにはメディア対応などの英語力が求められます。英語は全く話せなかったのでチャンスをつかめず、その悔しさから本気で英語を勉強するようになりました」。
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