PS4のグランツーリスモ SPORTで世界大会に挑戦
初めてのe-Sports大会参戦を目標に、本格的な練習が始まった。参戦したのは各国代表チームが鎬を削るネイションズカップと、特定メーカーの車種を操る代表チームによって競われるマニュファクチャラーシリーズだ。
2018年9月に開催されたワールドシリーズは初めてのオフライン大会、初めての海外大会、初めてのコントローラーと、初めて尽くしの世界選手権だった。開催地はオーストリアのザルツブルグ。ネイションズカップで日本代表は5位を獲得、ホンダチームで参戦したマニュファクチャラーシリーズは6位という結果だった。


「参加してみると、全員が参加する最初のタイムアタックで4番手タイムを出せたんです。慣れていないスラストマスターの筐体でも戦えることに手ごたえを感じました」。
9月のオーストリアラウンドではマニュファクチャラーシリーズの参戦メーカーを選択することはできなかったが、11月のワールドファイナルではメーカーを選択する権利が各ドライバーに与えられた。宮園選手は現在の愛車でもあるインプレッサ(GDB-F)を輩出したスバルを選択。それ以降、スバリストとしてスバルでのマニュファクチャラーシリーズ参戦を続けている。
ワールドファイナルの予選ではスバルチームが全体の3番手グリッドを獲得。ニュルブルクリンク24hコースでの決戦になった。宮園選手はソフトタイヤでポールポジションのBMWを追撃するが、1ラップ目の北コース前半アレンベルグでプッシング。5秒のペナルティを受けてしまう。
「経験不足ゆえのペナルティもあり、タイムアタック以降はあまり上手くいきませんでした」。
ワールドファイナルのスバル代表は10位という苦い結果に終わったが、世界一に向けた宮園選手の挑戦はまだ始まったばかりだ。
世界大会への参戦を続け、ついに世界一に
初めての世界王者へ
続く2019年のワールドファイナルには日本代表として個人戦の「ネイションズカップ」に出場。「レース3、サルトサーキットのインディアナポリスでの接触さえなければ優勝に手が届くペースだった」と語る走りは、準決勝を1位通過し、総合ポイントで3位につけた。
2020年には世界各国のオフライン大会を転戦するワールドシリーズへ参戦。2月のシドニー大会では優勝も獲得した。国内屈指の実力であることはもちろん、世界のトップ選手の常連になっていた。同年のワールドファイナルではネイションズカップ、マニュファクチャラーシリーズ、スープラのワンメイクとなるGR Supra GT Cupでも優勝。三冠を獲得し、名実ともに世界一になった。


「参戦費用を主催者に負担していただきながら海外に飛び、トップレベルの選手と戦えることは、本当に特別なことです。グランツーリスモは僕の人生そのもの。ずっと好きだったタイトルで世界を舞台に戦えることが嬉しいです」。
2024年末、再び世界一を掴んだドッティンガーに至る戦略
TOYO TIRE株式会社へ就職して社会人となり、e-レーサーとしてはベテランの域に達した24歳の宮園選手は、2024年末に再びワールドファイナルへと駒を進めた。大会は1,000人規模のオフライン会場で、複数の媒体で多言語配信が行われ、数万人のファンが世界中から視線を注いだ。
「現場では海外のファンが作ってくれたオリジナルTシャツにサインしたりと、多くの方に見てもらえていることを実感しました」。
すべての結果が決まる最終レースのグランドファイナルはニュルブルクリンク24hレイアウトで行われた。レース中盤で4位につけると、戦略通りのオーバーテイクを狙い、トップから5秒遅れで最終ラップに入った。
じわじわとトップのオランダ代表選手との差を詰めていき、最後の直線であるドッティンガーストレートで、いともあっさりと首位に躍り出るとそのままトップチェッカーを受けた。


グランツーリスモの大会では使用タイヤとピット回数が決められているうえにピット時間も均一なため、どのように戦略の違いを出すのか伺ってみた。
「レギュレーションは事前に発表されますが、ゲーム内設定のタイヤと燃料倍率は当日わかります。そこでドライバーは条件を予想してさまざまなパターンを練習してから本番に臨みます。
タイヤの消耗倍率はほぼ予想通りだったので、燃料を最後までセーブしながら高めのポジションを維持し、最後のドッティンガーでガソリンを使い切る戦略がドンピシャでハマりました」。
2022年以来の世界一。その間には新作「グランツーリスモ7」発売によるプレイヤーの増加もあって、宮園選手は100万プレイヤーの頂点に立った。
「4年前よりも遥かに多くの方に応援してもらえました。優勝後のお祝いもこれまでで一番たくさんもらえたことが嬉しく、継続していてよかったと心から思いました。業務や実車レースの兼ね合いもあり、練習時間を確保することも難しい状況でしたが、戦略が機能して優勝できたことは嬉しく思います」。

