世界一過酷なレースのひとつであるダカール・ラリー。クルマ好きなら出場を夢見たこともあるだろう。そのダカール・ラリー、通称パリダカに10回出場し、5回の優勝を記録したラリーストが三橋淳だ。2輪で3回、4輪で7回の完走を誇る日本人ドライバーは三橋氏だけだ。
そんな偉業を成し遂げた三橋氏に、ダカール・ラリーの魅力と、彼の人生について伺った。
2輪レースとの出会い、パリダカへの軌跡
三橋氏は1970年東京生まれ。最初に乗り物の楽しさに触れたのは、高校時代に購入したマウンテンバイク、そしてオフロードバイクだった。
初めてのレースへ
「ちょうど流行り始めていたマウンテンバイクでは山遊びを、バイクではツーリングを楽しんでいました」
当初はレースには興味のない、自転車好きの少年だったという。そんなとき、オフロードバイクのエンデューロという耐久レースが北海道で開催されていることを知った。
「1周100kmで完走率が低いと聞き『自分なら完走できるのでは?』と思い飛び込んでみました」。
自転車で山の中を走り回っていた経験から、オフロードでのマシン制御には自信があった。三橋氏は愛車のXLR250Rを駆って北海道に飛んだ。以降のレースでも、約10年にわたって4ストロークのXLR250が相棒となる。
その走りがホンダの目に留まる
愛車のXLR250Rはホンダの4ストロークバイク。しかし、当時のオフロードレースの世界では、ホンダの4ストという組み合わせは主流ではなかった。ヤマハや海外メーカーの2ストが大半を占めるレースに出場しながらも、三橋氏は好成績を残し続けた。
「地平線の中を走ってみたい」。雄大な砂漠の中を疾走するパリダカへの憧れは常にあった。しかし、パリダカは趣味で出走できるレースではない。その憧れを海岸線でオフロード走行するなどして消化しながらレース参戦を続けた。
そして、2スト勢に引けを取らない走りが本田技研工業・朝霞研究所の社内レースチームの目に留まる。以降、ホンダからバイクの提供を受けてレースに出るようになった。
「バイクを提供してもらえると、それまで遊びで出ていたレースにも本気で取り組むようになり、出場数も増やして全力で勝ちを取りに行きました。勝利を重ねると、最初は車体だけだったサポートも手厚くなり、パーツも支援してもらえるようになりました。支援が太くなることは、同時にチームやファンからの期待が高まることでもあります」。