「SUPER GTのパドックに来た瞬間は、まるで夢の中にいるみたいでした」。目を輝かせながら語るのは植毛ケーズフロンティアGT-R(GT300)ドライバー、甲野将哉氏だ。24歳のFJ1600から始まり、17年に及ぶ挑戦を経て子ども時代の夢を叶えた苦労人の甲野氏が、このシートにたどり着くまでの道のりを聞いた。
デビュー即チャンピオンも…
幼少期からクルマが好きだった甲野氏は、アメリカのドラマ「ナイトライダー」を観てレーサーへの憧れを抱いた。しかし、周りにレースをしている人もいなければ、カート活動をバックアップしてもらえるほど裕福な家庭でもなかったという。レース資金を稼ぐためにアルバイト生活をはじめ、その合間に高校の卒業祝いで父から贈られた9万円のS13シルビアに乗り、峠へ繰り出した。
24歳。ようやく資金を貯めてFJ1600でレースデビューするやいなや、筑波ともてぎのシリーズチャンピオンをダブルで獲得する。翌05年にフォーミュラドリームのスカラシップを獲得、06年には日産のドライバー育成プログラム「NDDP」の1期生としてフォーミュラチャレンジジャパンのシートを獲得した。
「マカオに行きたい」とF3世界一を決めるマカオグランプリへの出場を目指したが、レースの世界で勝ち続ける難しさと資金難から、以降10年間レースを離れることになった。
消えぬレースへの思い
レースから離れた後は、ゴルフショップの副店長として働くかたわら、FJ1600時代の仲間と毎月カートに乗り続けた。継続の裏には「まだまだ自分の知らない走らせ方が沢山ある。チャンスを迎えたときに速さを失っていたくない」の思いがあったという。
「カートは安く、疲れ果てるまで1日中乗り倒せます。カートとハコ車は違うと言う人もいますが、僕は乗るほどに共通点が見つかりました。特に4つのタイヤがグリップの限界に達する感覚はどのカテゴリーでも同じ。速度によって恐怖や難しさの度合いが変わりますが、その感覚を磨く場として、気軽に限界を超えられるカートは最適です」。
35歳で自動車イベントの運営業に転職。イベントでの説明員、走行会でのデモドライバー、ドライビングコーチ。仕事で多くの車に触れ、さまざまなマシンやコンディションで乗るうちにレース熱が再燃した。
「この仕事をしている以上はレーサーを名乗りたい」。その後は仲間の引き合いも助けて、F3の公式テストを受験。人生の舵を一気にモータースポーツへと切った。
トップカテゴリーへの情熱
2015年12月。雨の鈴鹿サーキットで行われた公式テストで、甲野氏はNクラストップタイムを記録する。「よかった、まだ走れるんだ」。胸をなでおろした。その後、スーパー耐久へ出場する仲間を探していたフォーミュラ時代の知人から声がかかった。マシンは、現在もステアリングを握る岡部自動車のフェアレディZだ。
翌年、開幕戦のもてぎラウンドでスーパー耐久シリーズにデビュー。2019年からは岡部自動車のチームオーナー、長島正明氏から直接声をかけてもらい、ドライバーを継続した。2023年の鈴鹿では同チームでスーパー耐久初優勝を飾った。ハコ車でのレースには10万円のシルビアを次から次へと乗りつぶした経験が生きているという。
スーパー耐久シリーズと並行して、セパンでのツーリングカーレース、FIA F-4、Legend Cars Raceなどへも参戦した。レース活動を本格化させると、レースの世界に飛び込んだ理由であるトップカテゴリーの大舞台へ立ちたいという思いが確かなものになった。
足踏みしてたら後悔する
「SUPER GTに乗りたい」。甲野氏は意を決してスポンサー集め、シート探しに奔走する。ようやくたどり着いたのはマッハ車検MC86でおなじみ、チームマッハのドライバーテスト。しかし、スポンサーとの折り合いがつかずシートの獲得には至らなかった。
「10年近くレースを離れていた人間がフラっとスーパー耐久にやってきて、今度はいきなりGTに乗りたいなんて言い出したら周りにどう思われるか…そう考えて前に踏み出せないまま4年が経ちました。でも僕はGTに乗りたかった。子ども時代に憧れた、キラキラした舞台に立ちたかった。これ以上頭で考えて足踏みを続けたら絶対に後悔すると思いました」。40歳の決断だった。
チームマッハのテスト以降も、甲野氏はSUPER GTのシートを探し続けた。ある日、スーパー耐久に誘ってくれた岡部自動車の長島氏に「SUPER GTに本気で出たいんです」と伝えた。
長島氏はスマホを取り出すと、その場で通話を始めた。電話の先は植毛ケーズフロンティアGT-Rのチーム、NILZZの井上氏。
「甲野ってやつがGTに乗りたがっててね。乗せればなんでも結構速いんだよ。金はないらしいんだけど、ちょっと乗せてやってくれないかな」。
「甲野を乗せろ」
GT300に乗りたいと打ち明けたそばから、周囲の人々が動き出した。NDDP時代から関係の続いていたGT-Rの名手、影山正美氏、田中哲也氏らの推薦も受けられた。
そして2022年、NILZZの井上氏から電話が入った。「君がウチのマシンに乗りたいと聞いているんだけど」「はい、乗らせてください」。NILZZからのGT300出場が決まった。
のちに井上氏は「そこら中から『甲野を乗せてやれ』の大合唱だよ。しかも(影山)正美さんに言われたんじゃ断れないよなあ」と冗談交じりにこぼしたという。