ワンメイクレースの一時代を築いた旧車たちが火花を散らす、富士チャンピオンレースのネオヒストリック。往年のマシンたちは、変わらない姿で迫力のある走りを見せてくれる。今回はそのパドックにお邪魔し、ネオヒストリックに参戦しているドライバーたちにこだわりのマシンとレース人生を聞いた。
ネオヒストリックとは
1970年代から1990年代にかけて、富士スピードウェイでトップカテゴリーの前座を彩っていた富士フレッシュマンレース。若手の登竜門であったこのフレッシュマンレースの系譜を受け継ぐネオヒストリックでは、当時の車両を使う、当時のスタイルのレースが脈々と続いている。
レースは富士スピードウェイが主催するレース群「富士チャンピオンレース」の一部として実施され、同日開催されるSuper-FJなどと一緒に観戦できる。
2024年開催日程
フレッシュマンレース時代は年間8レースが開催されていたが、車両の老朽化とエントラントの減少により、2024年現在は4クラス同時開催、年間2戦となっている。
Round | 開催日 |
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Round 1 | 4/14 |
Round 2 | 11/2 |
カテゴリー
カテゴリーは大きく4つに分けられており、混走形式で開催されている。
カテゴリー名 | 主な参戦車両 |
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ネオヒストリック Ⅰ | N2規定AE86 |
ネオヒストリック Ⅱ | N1規定AE86, SCP10 Vitz |
AE111 | AE111レビン/トレノ |
N1400 | EP82スターレット |
ドライバーインタビュー
内装をドンガラにしたマシンは力一杯に4気筒エンジンを唸らせる。そうだ、私たちをサーキットに駆り立てた音はこれだった。富士スピードウェイにあるパドックの一角、油にまみれたツナギを着てボルトを締める男たちに少し手を止めてもらい、旧車で戦い続けることへの想いを聞かせてもらった。
金崎権選手|AE111レビン
金崎選手は1990年代、グリッドをAE86が埋め尽くしていた時代の富士フレッシュマンレースに憧れてレースの世界に飛び込んだ。「予選落ちどころではなく、『受理落ち』もありました」。後継のAE92でフレッシュマンレースにデビュー。競技車両がアップデートされるとAE111へ乗り換え、カローラ/スプリンター・ノーマルカップ(C/SNC)へも出場を続けた。
「最初は『バリバリ伝説』を読んでバイクに乗り、峠や間瀬サーキットを走っていました。その後Speed MindやRacing Onなどの雑誌で富士フレッシュマンレースを知り、ハイスピードな富士(旧レイアウト)でのスリップストリームの取り合いに憧れるようになりました」。
富士フレッシュマンレースでは激戦の1990年代から2000年代を戦っていたが、2000年代になって夫人の介護をするためサーキットから離れた。夫人がこの世を去った後は、男手ひとつで息子を育てた。しかし、青春を捧げたサーキットへの思いは消えていなかった。
「カローラが好きだ。富士が好きだ。もう一度やりたい」。2020年に不動車のAE86を調達してマシンづくりを始めた。ボディ補強、塗装、ミッションの換装などもすべて手作業だ。自分で仕上げたマシンのベストタイムは1分59秒台。現代のレーシングカーであるVITAに匹敵するタイムをたたき出している。
「昔のN1車両は構造が簡単なので、クルマづくりやセッティングが学べます。改造範囲が広いためエンジンもチューンできるし、パーツ換装の自由度も高め。レーシングカーづくりの真髄を見られる場所は、N1規定のレースではないでしょうか。課題が見つかれば狂ったようにクルマをいじり始めてしまいます(笑)」。
周りの情報も聞きつつも、マシンづくりは経験と自分の分析を頼りに進めているという。ロガーなどからデータを取り、安心して乗れるマシンに向けてひとつずつ課題を潰していく。54歳。体力は落ちてきたが、ものづくりの考え方や、冷静な運転で体の限界を補っている。タイムは当時の1秒落ちまで追いついてきた。
目指すはマシンをENDLESSカラーにした当時の走りを、マシンと運転の両面で取り戻すことだ。このENDLESSカラーには、並々ならぬ思いが込められていた。
「当時ENDLESSカラーが好きで、自分もこの色にしたいと思っていました。だから富士フレッシュマンレースにデビューしてすぐ、ENDLESSのサービスガレージに行きました。ENDLESSカラーを使わせてください!と頼んだら、『今日のレースで優勝したら考えてあげるよ』と言ってくれた、その日のレースで優勝。以来ずっとマシンはENDLESSカラーで、ブレーキパッドのサポートなどをしていただきました」。
デビューから20余年。多くの仲間がサーキットを離れるなか、息子は高校生になりメカニック登録ができるようになった。まだ免許が取れない息子はシミュレーターを楽しんでいるという。親子で富士のホームストレートを駆け抜ける日は、そう遠くなさそうだ。