2025年5月30日から6月1日にかけて開催された富士24時間レースで15年ぶりにスーパー耐久へカムバックした竹内浩典選手。ST-Zクラスにシェイドレーシング GR Supra GT4 EVO2で参戦する885号車のAドライバー登録での参戦となった。
教え子からの熱烈なラブコールに応えて走った感想や、それまでの経緯を伺った。
15年ぶりのS耐、準備期間は10日
富士スピードウェイでレーシングサービス86RACER’Sを運営する竹内選手は、Racing School GoTakeインストラクターとしても活動するなど、富士スピードウェイを拠点にコーチングやGR86でのレース参戦を続けている。
また、竹内選手車アマチュアトップレベルの競技ゴルファーでもある。ハンディ3とプロテストを受けられるレベルで、スーパー耐久のレースウィーク明けのタイミングで開かれる大会に向けて入念な準備をしていたという。
そんな大会2週間前に電話が鳴った。発信元はSUPER GTやスーパー耐久で活躍する平中克幸選手。竹内選手がトヨタからの依頼で講師を務めたドライバー育成プログラム「フォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS、現TGR-DC Racing School)」の1期生だ。
「再来週のスーパー耐久24時間レースなのですが、急遽チームのAドライバーが出場できなくなってしまい、どうにか竹内さんに出てもらいたいんです」
オファーはスーパー耐久のST-Zクラスに、Aドライバーとして出走することだった。平中選手の所属するSHADE RACINGはSUPER GT GT300クラスとスーパー耐久ST-4クラス、ST-Zクラスでコンスタントに好成績を残している名門チームだ。


詰め込んでいた予定を理由に断っていた竹内選手だが、平中選手から1時間におよぶ説得を受けて参戦を決めた。
「彼のSUPER GTデビューイヤーでは一緒にセリカに乗りました。教え子の頼みは断れませんよ。他の予定を全部調整して乗ることにしました」
とはいえ長いレースキャリアでモータースポーツの酸いも甘いも知るベテランは、普段コーチングを行っているマシンからラップ10秒以上速いGT4車両で、15年ぶりのスーパー耐久を戦う厳しさを理解していた。「はい、わかりました」と運転してタイムを出せる世界ではない。
また、スーパー耐久のAドライバーには3時間以上の運転ノルマがある。レースウィークまでは残り10日。GT4車両で練習する時間はないため、ぶっつけ本番での参戦となった。

課題は残りつつレーススタート
レースウィークにサーキットで885号車に乗り込んだ竹内選手は、現役GT500ドライバーの国本雄資選手や、スーパーフォーミュラ・ライツを4連勝した佐野雄城選手などから約1秒遅れのタイムを記録した。
「プロとしては、せめて彼らの0.5秒落ちで走らないといけません。これはまずいと思いました。スーパー耐久は、Aドライバーがどれだけチームのタイムをボトムアップできるかで勝負が決まります。僕は運転技術で劣る部分をセッティングと開発能力で埋め合わせて戦ってきました。
若手は人間の性能がマシンの性能を上回っていますが、僕は逆です。だから、決勝までに僕が走りやすいようにセッティングを詰めさせてほしいと頼んだんです」


幸いにもピットにはニュルブルクリンクを走ったマシンのメカニックなど、竹内選手の実績や経験を良く知るメンバーが揃っていたため、これまでのセッティング経緯を洗いざらい教えてもらうなど、話は早かった。しかし、木曜日からの短時間で可能な作業は物理的にほとんどなかった。
レース前には、緊急でAドライバー登録を竹内選手へ変更することがST-Zクラス内での審議にかけられた。ドライバー登録締め切り後の変更となったため、出走にあたっては同クラスの同意が必要だった。チームは同クラスのピットを訪れ、同意を得るため奔走し、多くの参加チームが同意する中、最後まで反対するチームもあったが、なんとか同意を得ることに成功した。
「強硬に反対されればされるほど、僕の速さを認めてもらっていることになります」と竹内選手はポジティブに捉えた。
開発ドライバーの意地で「現役プロと同タイム」を目指す
最終的にST-Zクラスは885号車が10分間のペナルティストップを消化することで合意した。10分間は富士スピードウェイで5ラップ以上の待機となる。24時間レースとはいえ、このペナルティは勝負権に大きく影響した。
迎えた決勝では1位の25号車が545周、2位544周、3位542周と、表彰台のチームのリザルトは5ラップ以内に集中しており、SHADE RACINGの885号車は他のペナルティも相まって536周での4位チェッカーとなった。
「竹内さん、ぜひ次ラウンドのSUGOでも乗ってください!」
平中選手からのラブコールは続くが、竹内選手はあまり乗り気ではなかったという。
「僕はSUGOで885号車に乗るにあたって自由にセッティングするという条件を付けました。平中、国本、佐野といった現役プロの最大公約数でセットしたマシンに、60歳の僕の反射神経と運動神経はついていけません。逆に彼らは全員クルマより人間が高性能なので、どんなセットでも限界性能を引き出せる。ともすれば、チームが勝利する近道はマシンの動きを僕好みにすることです」。
チームは提案を二つ返事で了承し、SUGOでは占有走行の3セッションを竹内仕様づくりにあてることにした。AドライバーはSUGO 4時間レースのうち1時間を走るノルマがある。走行距離の25%を担当する竹内選手のタイムを押し上げれば、残りは現役プロが理論値通りのタイムを刻んでくれるという目論見だ。
竹内選手のレースキャリアはブレーキパッド開発から始まり、タイヤ、車体とマシンの開発能力を武器に夜勤のアルバイトからGT500チャンピオンまで駆け上がった。還暦を迎えたレジェンドは、再びセッティング能力を武器に「現役プロと同タイム」を目指してマシンを見つめている。この力で才能あふれる若手を上回る走りを見せるか、今後も竹内選手の活躍から目が離せない。

旧SHADE RACINGのレーシングスーツを着用