オーディション合格でFJ1600参戦
そこで当時のFJ1600などへのサポート体制を整えているチーム、ザップスピードのドライバーオーディションを受けた。これに落ちたら才能はない。レースはやめる覚悟だった。
その年は優秀な人材が多く、当たり年と言われていたという。のちにF1で活躍する佐藤琢磨選手も一緒にオーディションを受けていた。
「その時の彼の走りを見て、こいつすごいなと思いました。少し話すと彼は、自分はF1ドライバーになりたい、鈴鹿のレーシングスクールにも行きたいと言うので、それならそっち行くほうがいいでしょと。FJのオーディション受けてる場合じゃないでしょって言ったんです。そしたらほんとに行っちゃった」
そんな強力なライバルがいる中で、近藤さんも琢磨選手と同じセミサポート枠でみごと合格を果たした。夢の実現への大きな一歩だ。だが合格とはいえ費用は必要だ。個人事業主として飛び込み営業の訪問販売をして資金を捻出した。すべてはレースのためだった。
参戦を果たすも重なる不運
FJ1600にはスポットで年間2~3戦ほどザップスピードから参戦していた。90年代後半のことだ。
「当時はバリバリのチーム対チームという雰囲気。ほかのチームとは口はきかねえぞ、おまえらみんな敵だみたいな感じでしたね」
だがサーキットで夢を追う若者に待ち受けていたのは、乗り越えがたい苦難だった。
「運が悪いことに、3回くらい連続でクラッシュに巻き込まれたんです。最終コーナーを飛び出してしまってマシンを置いてスポンジバリアの外にいたら、そのマシンに誰かが突っ込んできたりとか。それでも修理代は自分持ちですから」
修理代はかさみ、借金が増えていくばかり。どこかでやめなければと思った。
お金があれば続けていたかもしれない。だが資金以外にも理由はあった。速すぎるライバルの存在、ザップスピードで一時期チームメイトだった小暮卓史選手だ。それまで速い人はいても背中は見えていて、いつか追いつけると思っていた。だが小暮選手は次元が違った。かなわないと感じた。区切りをつける時だと引退を決意した。28歳の時だった。

若手育成カテゴリーとして多くのドライバーが腕を磨いた登竜門的存在
レース経験が活きたサードの仕事
それまではレースのために仕事をしていたが、ちゃんと就職しようと思った。ただレースとはつながっていたかった。しばらく就職活動をして、パーツメーカーでレーシングチームでもあるサードへの就職が決まる。
東北でのレース歴があることから東北地区の営業を任され、東北6県のチューニングショップをかけ回った。仙台のオフィスは自宅兼用だ。
「仕事は大変だったけど、自分はレース経験もあり車のことは理解しているから、営業の役には立ちましたね」
ただ機械いじりや物作りが好きな近藤さんは営業では飽き足らず、開発もやりたかった。そこで東北での営業で実績を出し、開発をやらせてほしいと会社に頼み込み、認められて本社に戻る。本社では営業兼任で評価ドライバーなどに携わった。
そして開発の次はレースにも関わりたくなった。そこでまた頼み込んだ。
「こいつまた余計なこと言い始めたなという雰囲気だったけど、それなりに実績も上げていたので認めてもらえて、会社が参戦しているGT500のメカニックも始めたんです。タイヤの内圧管理とかブレーキ回りを担当させていただきました」
だがやはり営業も兼任だったため、レース中に得意先の注文を受けることもあったそうだ。
「その後いろんな事情で急遽、スポンサー営業や管理職的なこともやらなくてはいけなくなって、レースマネジメントもやることになって。だからツナギを着てスポンサーさんの接待して、その合間に注文の電話を受けてた時期もありましたよ」
監督、チーム代表、そして社長へ

長年の現場経験を経て、2023年に株式会社サード取締役社長へ就任
2015年にサードはスーパー耐久および始まったばかりのFIA-F4に、その翌年にはSUPER GTのGT300にも参戦。近藤さんはそれらのマネジメントを担当した。GT300では監督とエンジニアも兼任していた。
その後サードが参戦しているGT500チームの代表になり、2023年に社長に就任する。
「当時は創業者の加藤が会長兼社長だったけど、そろそろ世代交代もしなきゃと。社長をやる以上モータースポーツも知っている人がいい。それで任命されて、それまでも実務は僕がやっていたので快く受けました」
サードに入社して、やりたいことはほとんどやらせてもらったという近藤さん。「だから社員たちにも好きなことをやらせてあげたい。社長としては、そのために何ができるかを最優先に考えたいです」

半世紀以上にわたりモータースポーツと
ともに歩み続ける技術者集団

「DENSO KOBELCO SARD GR Supra」
トヨタとともに技術を磨き続けるSARDの象徴的マシン

チームの努力が実を結んだ歓喜の瞬間


