5時間耐久レース 決勝(11:00〜)
グリッドウオーク
今回も前回に引き続き、チームにお願いし、スタートドライバーを担当させていただきました。鈴鹿のような中高速コーナーが多いサーキットでは路面状況がすぐに悪化するため、まだコースに慣れきれていない私にとっては、同じクラスの車両と走行できる「スタートスティント」がペースを作りやすいと感じていたのです。決勝のグリッド上で行われるグリッドウォークでは、たくさんの方が師匠に挨拶に来てくださり、”浅野レーシングサービスの一員として恥をかかせたくない”という強い責任感を、改めて感じました。




決勝レーススタート!
各チームがエース級ドライバーをスタートに揃えてきている中に混じっての、ST-4クラス4位からのスタート。これには緊張感がありました。監督からは「おそらく1コーナーまでに#60には抜かれるだろうが、同一周回の車両にはできるだけついていき、簡単には譲らず、積極的にバトルするように」との指示を受けています。ST-4クラスのドライバーたちは、国内トップドライバー揃い。ジェントルマンドライバーも勿論いますが、その走りはプロと遜色ないレベルだと私は思っており、正直、諸氏の経歴に圧倒され気持ちで負けそうになる瞬間もありました。が、それでも自分のベストを尽くすことを心に誓いました。
フォーメーションラップ中に観客席を見渡すと、多くの皆さんが応援に駆けつけてくださっているのが見えます。その光景に「応援してくださる皆さんに恥じない走りをしよう」と改めて決意。そして定刻通りの13:05分。5時間に渡る決勝レースが、ローリングスタートとともに幕を開けました。監督の予言どおり、#60には1コーナーまでに抜かれてしまいましたが、なんとか食らいつこうと必死にプッシュ。しかし、直後にST-3クラスの車両がマシントラブルでスロー走行しているとの無線が入り、S字2個目で目の前に現れたため急減速を余儀なくされ、その隙を突かれて#216、#290に同時にパスされてしまいました。


非常に悔しい展開でしたが、無理に取り返そうとしても仕方がないと気持ちを切り替え、周回を重ねて#290をパス。しかしその間、予選順位抹消となり最後尾から追い上げていた#41にも抜かれ、さらにハイペースで迫ってきた#37にもパスされてしまう展開になります。さすが各チームのエース級ドライバー達です。「現在の私の技量では、国内トップドライバーたちと対等に戦うにはまだまだ力不足である」という現実を、痛感させられました。

程なくするとST-Xクラスのマシンたちも追い上げてきて、私は2分27〜28秒台で走行を続けるしかない状況に追い込まれました。決勝前から「アベレージタイムが低い場合は、早めにドライバーチェンジを行う」という予定だったため、スタート後の約30分ほどしたところでチームに無線で連絡し、伊藤くんにバトンタッチすることを決断しました。私自身も決勝の中で少しでも学べることがあればと走行を続けましたが、やはり課題や改善点は明確で、更にこれ以上ペースを上げられないと判断。潔く身を引き、予選で速さを証明している伊藤くんに、18号車の上位フィニッシュを託しました。

伊藤くんはドライバーチェンジ後、非常に速いペースで周回を重ねていきましたが、今度はコース上ではクラッシュやコースアウト車両が続出する事態となってしまいました。伊藤くんのスティント中だけで、何と5回もFCY(フルコースイエロー)が導入されるという波乱の展開が続きます。そしてそんなレースもようやく落ち着きを見せ始めたかと思われた頃……今度は18号車が「コーナー途中でガス欠症状が発生する」というトラブルに見舞われてしまいました。レースが進むにつれてガス欠症状は悪化し、ピットインして確認するものの原因を特定できないため、ガス欠症状を抑えるために燃料を多く積むと作戦を変更して急場をしのぎつつ、武夫さんにドライバーチェンジをしました。

この影響で順位は8位まで落ちてしまいましたが、他車にもトラブルが発生し、18号車は再び6位に浮上。武夫さんは安定したタイムで着実に周回を重ね、最後に藤原くんへとバトンを渡しました。懸念のガス欠症状は燃料が多い際には影を潜めるものの、減って来るなり発生してくる状況だったため、スプラッシュ(燃料補給のみを行うピットイン)を2回も行いつつレースを戦うという苦しい展開となりましたが、リタイヤだけは避けようとチーム一丸となって走り切り、17:05分。5時間に渡る長丁場を総合31位/クラス6位で走り切り、チェッカーを受けました。

