トヨタのワークスチームとしてSUPER GTなどで活躍し、パーツメーカーとしても人気の株式会社サード(SARD)。1985年の創業で、前身にあたるシグマオートモーティブから数えると50年以上の歴史をもつ。老舗メーカーであり名門チームでもあるサードの歴史を、近藤尚史社長に振り返ってもらった。

創業から半世紀を超える歴史を近藤尚史社長に語っていただいた

レース活動からパーツ開発まで、ここから世界へ挑戦が続く

長年にわたるサードの挑戦と栄光の歴史を物語っている
深夜まで開発を続けた創業者
サード創業者の加藤眞氏(現サード会長)はトヨタ自動車工業(当時)の出身。高校の頃から中古車を改造し、どうしたら速く走れるのか研究するほど車作りが好きだった。
学生時代には完成間もない鈴鹿サーキットで体験走行をし、同所で行われた第1回日本グランプリに参戦もしている。車両は自身でチューニングしたトヨペット・コロナST20。予選でクラス4位、決勝では15台中8位だった。この時に車のエンジニアになろう、車を作るコンストラクターになろうと決意する。
トヨタでレース部門に配属された後は、2000GTやトヨタ7などの開発に携わった。独立を考え始めてからは、トヨタの仕事が終わったあと自身の小さな工場で深夜まで車両開発をする日々だったという。
そして1972年に独立し、レーシングチーム兼パーツメーカーのシグマオートモーティブを設立。1985年にシグマ社のエンジニアリング拠点として、レース活動に従事するサードを設立。設立のきっかけは同年スタートした全日本ツーリングカー選手権への参戦だという。サードは設立翌年にオリジナルコンセプトカー
「SARD SOARER」を発売。のちにアフターパーツ市場にも参入するなど、シグマ社の事業を吸収していく形で現在にいたっている。

サード初の自社ブランド車として、その名を世に広めた一台
日本チームとして初のル・マン参戦
レーシングチームとしてのサード/シグマでまず語るべきは、やはりル・マン24時間への挑戦だろう。トヨタ時代から準備していたこともあり、シグマは創業翌年の1973年には日本チームとして初の参戦を果たしている。
マシンはシグマオリジナルのMC73。決勝こそクラッチの破損でリタイヤしたが、予選はクラストップで総合でも14位。加藤会長いわく「まずまずの結果」だった。
74年はタイヤが3回バーストするなどのトラブルもあり規定周回数には達しなかったが、24時間を走り切った。翌75年は油圧トラブルによる無念のリタイヤで終えたのち、予算が尽きていったんル・マンからは離れる。

規定周回には届かなかったものの24時間を走り切り、
日本チームとして大きな一歩を刻んだ

SARDの技術力を示した一台
ル・マン再挑戦、波乱の総合2位
そして1990年、15年ぶりに待望の再参戦を果たす。92年に9位完走、93年にクラス優勝となる総合5位と順調に力をつけていき、94年には総合2位を獲得した。
この94年のレースはとりわけファンの話題をさらった。残り75分の時点で総合トップを走り優勝目前というところで、シフトリンケージが折れてギアが入らなくなるトラブルが発生。ドライバーが降りて外側から手でミッションを入れ、どうにかピットまで戻ったのだ。この場面はテレビの生中継でも映し出された。その結果3位まで後退したが、1台抜き返しての2位フィニッシュだった。
のちに分かったことだが、このマシンはサスペンションアームにも亀裂が入っており、あと3mmで破断という状況だった。「危なかったことが分かった以上、2位で悔しいとは言えない。事故を起こさずにすんでラッキーなレースだった」と加藤氏は述懐している。
95年にはル・マン用にレーシングカーMC8Rを開発。念願のオリジナルマシンでの再参戦を果たす。トヨタのMR2をベースにセルシオのV8エンジンをのせ、グループCカー(プロトタイプレーシングカー)の足回りをつけたマシンだ。このMC8Rとトヨタ・スープラGTLMの2台体制でル・マンに3年間参戦した後は、GTレースへと挑戦の軸足を移している。

トヨタ・スープラGTLMとともにル・マン24時間へ挑戦した

スープラGTLMがリタイアする中24位完走を果たし、確かな存在感を示した
ル・マンからGTへ
SUPER GTのGT500には、前身の全日本GT選手権がスタートした94年から継続参戦している。サードといえばSUPER GTというファンも多いだろう。97年と04年にシリーズ2位、2010年代からは優勝回数が増え、16年には念願のシリーズチャンピオンに輝いた。
2020年からは現社長の近藤氏がチーム代表に就任。監督にはサードからの参戦・優勝経験のある脇阪寿一氏を迎え、マシンはGRスープラを投入している。同年は新型コロナ規制のためドライバーのヘイキ・コバライネン選手が一時入国できないアクシデントもあったが、無事入国した後の第5戦富士ではみごと優勝をつかみ取った。
22年以降は関口雄飛選手と中山雄一選手のコンビで毎年表彰台に上がり、24年の第7戦オートポリスでは優勝も飾る。今年2025年は中山選手に代わりサッシャ・フェネストラズ選手が加わり、2回の表彰台を獲得。年間チームランキングは3位と、来期に期待が膨らむ結果となっている。
またSUPER GTのほか、全日本耐久選手権/全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)でも2回の優勝を誇る。近年ではFIA-F4やスーパー耐久にも参戦するなど、様々なカテゴリで挑戦を続けている。

鈴鹿GT300kmやNICOSカップで3位入賞を果たした実力機

Tiレースで3位入賞、鈴鹿1000kmでも総合3位を獲得した

LEXUS TEAM SARD
最終戦で5位入賞を果たし、安定した速さを見せた

DENSO KOBELCO SARD GR Supra
サードの技術と情熱は、今も最前線で進化を続けている
ハイブリッドカーで世界初の快挙
2006年には、十勝24時間レースにトヨタと共同開発したレクサスのハイブリッドカー(HV)で参戦し完走。翌年の同レースではスープラのHVでみごと総合優勝を飾った。当時はまだHVでのレース参戦などはなく、HVが24時間耐久レースで優勝するのは世界初のまさに快挙だった。
「当時はトヨタのエンジニアがサードにすごいたくさん来てましたね」と振り返る近藤社長。サードは1989年からトヨタのワークスになり、以降のレースでは基本的にトヨタのマシンで参戦している。お互いにサポートしあう関係だという。
「環境配慮などこれからの技術をモータースポーツに取り入れていくのはいいこと。個人的には水素エンジンで走らせたいです。音がする方でね」と力がこもる。

総合優勝を果たし、世界初のハイブリッド車による耐久制覇を達成した
入門者向けからコアなパーツまで
近藤社長いわくシグマ/サードは「コアなパーツ」を作る会社だった。たとえばATをMTにコンバーションするレクサスとマークX向けのキットだ。
「トレイシースポーツさんはオートマしかないレクサスIS350をこのキットでマニュアルにして、スーパー耐久に参戦しました。トヨタさんもマークXをマニュアルにして出ましたが、これもきっかけはサードです」
シグマ時代には、まだターボエンジンがメジャーではない70年代に、国産車にターボチャージャーをつけられるキットを作っていた。それにともないターボ車向けのインジェクターやウエストゲートなどの開発もした。ウエストゲートは日産のグループCカーについていたという。
「昔はハイパワー用のパーツを作るコアな会社だったけど、近年はディーラーにも製品を置いてもらえて、いろんな人にサードを知ってもらえるようになってきた。だから今は例えばエアロパーツなど、手軽に買えて楽しめるパーツにも力を入れています」
モータースポーツの発展と、企業としての原点回帰
レーシングチームとしては、今後はSUPER FORMULAなど他のカテゴリへの参戦も考えているという。
「今はSUPER GTのみだけど、フォーミュラという場も経験することがエンジニア育成にもなる。それがGTでの強さにもつながるはず。今リサーチしているところです」
最後に、サードの今後の夢や目標をたずねてみた。
「一時期モータースポーツのブームが冷えてしまったけど、今トヨタ自動車さんがすごく頑張っている。モータースポーツを文化にするために、サードも協力していきたいです。
それから自分たちでレーシングカーを作ってル・マンに参戦していた、創業当時の目標も大事にしたい。だからコンストラクターとして、オリジナルのレーシングカー作りをまた目指したい。原点回帰です。そして今はなかなか厳しいとは思うけど、いつかル・マン優勝という夢は持っておきたいです」
「車をいじくるのが大好き」という近藤社長。80歳をこえた今も現場に来ているという加藤会長。レースを知る者が集まるサードの、原点回帰の夢に期待したい。

技術と情熱が息づく、SARDの“今”
愛知県豊田市の本社では、今日も新たな挑戦が続いている。エアロパーツやキャタライザー、排気系などすべてが自社設計。CADデータと職人の手仕事が融合し、試作から実走テストまで一貫して行われている。サーキットで得た知見をそのまま製品開発に反映できるのもSARDの強みだ。レース現場で培った技術が、市販パーツの性能を支えている。「レースの現場が最高の実験室」という言葉の通り、エンジニアたちは現場の感覚を生かしながら、今日も“走る歓び”を形にしている。

高い耐久性が求められており、
保安基準と排気性能を両立している製品

空力性能を極限まで追い込むための地道なセッティング作業

走行データと職人の感覚が融合し、
理想のフィーリングを追求する

機能性と美しさを両立したデザインは、まさに“走るアート”

レーシングフィールドで培った空力性能が公道仕様にも息づいている

細部まで造り込まれたエアロが、機能美を際立たせる

熟練職人によるハンドメイドで、性能と美観を両立する逸品
サードが歩んできた半世紀は、今もなお挑戦と情熱に満ちている。受け継がれた技術と精神が、これからサーキットでどんな未来を描くのか──その続きが楽しみでならない。
撮影:野崎泰佑 協力:株式会社サード


