34歳でモータースポーツへの挑戦を開始し、VITAの北海道チャンピオンを獲得。2023年からはスーパー耐久ST-5クラスに「公団ちゃん」こと栄建設FITでシリーズに参戦している大島良平選手は、会社員として働きながらの限られた資金と時間で国内最高峰レースへたどり着いた。
地方戦で入賞すらしない3年間の下積み時代に培ったスキルから、強豪チームを目指すD.R.C EZOの展望までを伺った。
VITAで勝てない日々がセッティング能力を磨いた
現在41歳の大島選手は少年時代からクルマ好きだったが、30歳までサーキット走行すら経験したことがなかった。転機が訪れたのは34歳。毎年数回走っていたサーキットで、VITAレースに参加している先輩に出会った。「俺もそれで戦ってみたい!」自身もレース活動も開始した。
「VITAでの走行を体験させてもらえたことが、結果的に最高のマシンとの出会いだったと思います。VITAを上手く走らせられれば、ハコ車からチューニングカーまで何でも乗れる基礎ができます。さすがにミドルフォーミュラは難しいかもしれませんが、ほとんどのクルマが簡単に感じます」。
一方で最初はレースにあまり興味がなかったものの、一度勝負に敗れると、負けず嫌いの性格に火がついた。最初の3年間は表彰台は夢のまた夢、入賞すらしない状態に歯を食いしばって十勝スピードウェイの地方戦への出走を繰り返した。
「多くの方にサポートしていただきながらVITAでのレースを始めましたが、なかなか結果が出ず、セッティングと練習を進めました。しかし私は会社員。練習できる時間が限られており、日曜日のレースに向けて土曜日しか走れないような環境でした。勝てない理由には薄々勘づいていました。
『乗って考えて』を繰り返せない以上、人がやっていないことに詳しくならないといけません。そこで私は低かったセッティング能力を磨くことで、『曲がらない』に対する答えを用意できるようにしました。走りで勝てないならばクルマで勝つしかないという考えで培ったセッティング能力は今でも活きています」。
努力が功を奏して徐々に成績は上向き、2022年に38歳で初の北海道VITAシリーズチャンピオンに輝いた。背景には、現在所属しているD.R.C EZOを率いる佛田 尚史氏の支援もあった。
「私は十勝シリーズに参戦する唯一の旧型エンジン使用者として、個人で参戦しながら予選2位などの成績が出るようになってきていました。それを見た栄建設の佛田社長が『君は新しいエンジンならもっと結果が出るんじゃないか』と、マシンを用意してくださいました」。
スーパー耐久に至る縁を手繰り寄せて十勝のシリーズチャンピオンを獲得した大島選手。「次は富士だ」と、北海道での活動をスッパリと切り上げて拠点を富士スピードウェイに移した。
「日本で一番VITAのレベルが高い場所で勝負したいと思いました。実際に富士はレベルが高く、最初のレースは9位でした。しかし、十勝でもがきながらセッティングを磨いていたことで、乗りやすいクルマを作るスピードが上がっていることを感じています」。
スーパー耐久デビューイヤーの興奮
タイミングも良く、十勝シリーズのチャンピオンを獲得した翌年の2023年には、栄建設がスポンサードするTBRのスーパー耐久への初参戦が決まった。舞台となった富士24時間レースでは最初、未経験の雰囲気に圧倒されたという。
「どこを見ても有名人で、アマチュアもプロのように速い人ばかりです。しかも私たちはST-5クラスなので、バックミラーばかり見るという、スプリントレースでは経験したことのない走り方に苦労しました。3スティント目くらいからは富士のペースを掴めるようになってきて、走るのが楽しいと感じるようになりました。最初は怖さもありましたが、あまり時間をかけずに『S耐の人間』になれたと思います」。
チームの「公団ちゃん」は公式配信に寄せられるコメントが軒並み『公団ちゃん!』で埋まるほどの人気と話題を博した。その頃チームは初出走なこともあり、「無事故無違反」を掲げて淡々と完走を目指す姿勢だった。
「でも私はスプリントレース出身なこともあり、抜かれたくない、下の方(の順位)を走りたいわけではない、という悔しさが芽生えるようになってきて、これまで以上にクルマを触るようになりました」。