グランツーリスモの世界選手権「GR Supra GT CUP」に日本代表として2年連続出場、リアルレースわずか3戦で激戦のロードスター・パーティレースでポールポジション獲得、スーパー耐久デビュー戦で表彰台獲得。電撃的な活躍を成し遂げてきた岡田衛選手は、少年時代から続けてきたシミュレーター出身ドライバーにして、eモータースポーツ業界の改革者だ。
成人してからサーキット走行を始めたという岡田選手に、グランツーリスモを通して得た出会いやリアルレース挑戦の軌跡、そして現在の活動などを聞いた。
グランツーリスモ仲間の背中を追いかけて
テレビで見たWRC(世界ラリー選手権)に心を奪われた岡田少年は、後日販売店からもらったRALLI ARTのビデオを見て三菱、ランサー・エボリューション、パジェロのとりこになっていった。初めてのゲームはラリーゲームの「コリンマクレー・ザ・ラリー」。のちにグランツーリスモもプレイし、ラリーやレースへの憧れは募らせていった。
しかし岡田少年にとってレースはビデオやゲームの世界であり、周囲にレース志望者もいない環境でレーサーになることは夢物語だった。高校卒業後の職場は駆動系パーツメーカーEXEDYの作業員。「レーサーは小学生のころからカートに乗っていた人が行ける場所」。そう思いながらも、成人して小さい頃から憧れていたランサーエボリューションを購入し、初めてのサーキット走行に繰り出した。
並行してグランツーリスモシリーズをプレイし続けていた岡田選手は、オンライン対戦を通して多くの仲間と出会う。同じ熱量、知識、技術で語り合える仲間のひとりが、中学時代から共にゲームを楽しんでいたライバル、冨林勇佑選手だ。


冨林選手はロードスター・パーティレースやスーパー耐久ではシリーズチャンピオンを獲得。2022年からはSUPER GTに参戦している。目の前でグランツーリスモ仲間が華々しくステップアップしていく姿は衝撃だった。
「大人になって冨林選手が自分のアルテッツァでサーキット走行するところを見ていました。スーパー耐久に参戦したときにはグランツーリスモ仲間が岡山国際サーキットに集まって応援しました。彼なりに苦労しながらも一気にカテゴリーを駆け上がっていく姿を見て、すごいと思うと同時に、自分もリアルのレースができるのではないかと思い始めたんです」
2021年2月、岡田選手は「冨林みたいになりたいです!」と、ロードスター・パーティレースで冨林選手を送り出した「イナトミガレージ」を主宰する稲富圭氏に嘆願した。ロードスター・パーティレースの開幕はわずか2カ月後の4月。国内A級ライセンスをなんとか取得し、装備品を集めて岡山国際サーキットでの西日本シリーズ合同テストに参加した。
頭角を示すも迫る挫折
ロードスター・パーティレース西日本シリーズが開幕すると、岡田選手は開幕戦から繰り上がりで3位入賞。3戦目ではポールポジションを獲得する速さを見せる。会社員として限られた時間と資金の中で速さの源泉となった練習は、グランツーリスモやアセットコルサといったタイトルでのシミュレーションだった。
わずか3戦目でポールポジションを獲得した話は瞬く間に上位カテゴリーに伝わった。「TRES☆TiR☆NATSロードスター」でスーパー耐久に参戦しているNATS(日本自動車大学校)が最終戦に出走するドライバーを探しており、岡田選手に白羽の矢が立った。レース結果は堂々の3位表彰台。公認レース参戦わずか4戦目がスーパー耐久の表彰台になった。

先頭:岡田選手

左から金井 亮忠選手、猪爪杏奈選手、岡田衛選手
「本当にレースを始めて良かったと思いました。2年目はフル参戦したいと考えていると、ランサーエボリューションでST2クラスに参戦している『シンリョウレーシング』がドライバーを探していると聞いてすぐに連絡しました。ずっと憧れていたランエボでレースをする機会ですから」
岡田選手は会社員時代に作った貯金をはたいて参戦費用を工面し、レースのために地元を離れて富士のイベント会社に就職した。
「特に第5戦岡山国際サーキットでは、2番手スタートのスタートドライバーを任せてもらいました。前節のもてぎでは開始50秒でエンジンブローしたため、そのリベンジも兼ねていました」


レースが始まると、岡田選手はタイヤをマネジメントできている手ごたえを感じつつ、トップの大橋正澄選手を追撃する。しかし、レース開始後30分でFCY(フルコースイエロー)が導入され、リミッターを当ててのスロー走行になった。
半周のFCYが解除されると同時にアクセルを踏み込む。しかしクルマが加速しない。ターボ圧も上がらない。タービンブローだった。マシンは力なくピットに戻り、レースはリタイヤで幕を閉じた。
「なんとしても結果が欲しくてお金を持ち込み、チームの信頼を勝ち取ってスタートドライバーを任せてもらえたんです。タイヤマネジメントもできている自信がありました。それがすべて急なトラブルで崩れ去ったことがショックで、いつぶりかもわからない悔し涙が出ました」
結果的に2022年に出走した全6レースのうち4レースでマシントラブルが発生。ランエボで表彰台に上ることはできなかった。続く2023年にはST3クラスに参戦するも、実力不足から出走が叶わないことや、同チームのマシンにオーバーテイクされるなど、悔しさの残るシーズンとなった。

「夢のレーシングドライバーにはなれましたが、プロではないのでお金を払って乗っている立場でした。これでは長続きしない。最低でもお金を払わずに乗れるようでなければ続けられないと思っていました」
岡田選手はこの年でリアルでの本格的なレース活動に区切りをつけ、バーチャルとリアルを結ぶ架け橋としての活動に軸足を移していく。