出会いの連続が引き寄せたスーパー耐久
4輪競技を開始した丹羽選手はFJ1600のエビスシリーズで3度のシリーズチャンピオン獲得など、実績を増やしていった。当時のレース活動を支えたユーロラインとは20年来の付き合い。出会いはカート場で偶然隣のガレージになったことだった。
「中古のタイヤにステーの折れたシャシー、貰い物のエンジンという構成でフレッシュなマシンのライバル相手にローカルレースのチャンピオンを獲得しました。それが隣のガレージにいたユーロラインオーナーの目に留まり、アマチュアの耐久レースに誘ってもらえたことがハコ車レースの始まりです」。
最初のマシンはS2000、その後もZ33、RX-7、ロータス・エキシージなど、さまざまなクルマをほとんど無料でドライブ。レースにはトラックに乗せて連れていってもらい、エビスシリーズに参戦したFJ1600もユーロラインに購入してもらったという。


2025年現在も所属しているOVER DRIVEとの出会いは、NIWA RACINGでロードスター・パーティレースに出場しており、「いよいよS耐(スーパー耐久)だ!」と、OVER DRIVEが以前メンテナンスしていたマシンを購入すべく大阪へ赴いたことがきっかけだった。
しかしマシンは翌2022年度の走行予定があり、すぐに売ってはもらえない状況。OVER DRIVEへ勉強を兼ねたスーパー耐久への参戦を打診し、Dドライバー登録で話がまとまった。


しかし、鈴鹿サーキットの本戦でマシンの駆動系にトラブルが発生。クラッチが切れなくなった。ここでRX-7で耐久レースに出場した際の経験が活きた。RX-7はロングランをしていると、クラッチが切れなくなるトラブルが多発したので、クラッチを切らずにミッションを繋ぐ技術を持っていた。
その経験から、スーパー耐久でクラッチを失ったマシンを1.5時間のスティントにわたって走らせ続けるという荒技をやってのけた。以降、スーパー耐久で所属しているチームのOVER DRIVEからは「任せておけばゴールまでマシンを持ってくる」とステアリングを任されている。2025年はCドライバー登録でのフル参戦。NIWA RACINGのチームメイトもDドライバー登録している。

後輩へ繋ぐ出会いのバトン
「自分は多くの方の助けで20年もレースを続けられました。今度は自分が若手にバトンを繋いでいく番だと思っています」
その言葉を実現する場として丹羽選手が選んだ場所は、自身が北日本シリーズで2度の優勝を経験しているロードスター・パーティレースや、マツダのオーナー向け耐久レース『マツダファン・エンデュランス(通称:マツ耐)』などだ。
90名を数えるNIWA RACINGの仲間と日々オンラインで腕を磨き、自ら監督として志望者をリアルでのレースに導いている。合言葉は「みんなのクルマを、みんなで最後まで、クルマに優しく持っていこう」。グランツーリスモを中心とした練習の成果から、いまだに大きな事故を起こしたことはないという。
「グランツーリスモ はグラフィックが綺麗だし、チューニングも楽しめます。そして何より、「SPORT」以降、オンラインで世界中の人と手軽にレースを楽しめる体験は特別です。今年もNIWA RACINGからグランツーリスモからロードスターカップ、スーパー耐久への参戦が見えているドライバーがいますよ」


目指すは頂点、自前チームでのスーパー耐久出場。今夜もNIWA RACINGはバーチャル世界に集合して技術を高め合っている。丹羽選手のコーチングを直接受けてみたい方は、ぜひGoTakeのインストラクターページから予約してみてほしい。リアルのレースに挑む仲間と共に切磋琢磨する時間もまた、格別のレース体験になるはずだ。