4輪競技への挑戦
伊藤選手は2021年、カートから4輪競技へと活動の軸足を移した。最初に挑戦したのは、トップドライバーの登竜門となっているジュニアフォーミュラのSuper FJだ。
Super FJ日本一への挑戦
1年前からカートと並行して練習を積み、満を持してSuper FJへ参戦した。しかし4輪競技の船出は順風満帆とはいかなかった。
「カートからSuper FJへの移行は難しいことだらけでした。カートと違い、Super FJにはサスペンションがあります。車体が前後左右へ動く感覚に適応することには特に苦労しましたね。
また、いざSuper FJにデビューして周りを見渡すと、カートのときと同じように年下のドライバーが多いんです。彼らは高校生の段階でAライセンスを取得しており、21歳で参戦した私よりもキャリアが上でした。負けたくないぞという思いでレースに臨みました」。


シーズンを戦いながら鈴鹿サーキットを走り込み、万全の準備で鈴鹿サーキットでの日本一決定戦に臨んだ。48台が参加した予選はA/Bの2グループに分けられ、伊藤選手の予選結果はAグループ5位。上位を狙えるグリッドからのスタートとなった。
「決勝ではスタートから同じシャシーを使っているドライバーの中ではトップを走れていました。しかし、1周目シケインでの接触でリアタイヤがパンクし、早々のリタイヤ。沢山走り込んで得意なサーキットにもなっていただけに、これまでのレース人生で一番悔しいレースになりました」。
FIA-F4、スーパー耐久へ
伊藤慎之典の「荒療治」は止まらない。2022年にはさらにカテゴリーを上げ、「モータースポーツの甲子園」と呼ばれるFIA-F4への挑戦を開始した。


「FIA-F4では目立った成果を残せませんでしたが、そこで学んだことは今のレース活動でも大いに活きています。たとえば転戦することで様々なコースに慣れることができるので、スーパー耐久などのハコ車に乗るときには走り方をアレンジして適応しやすいです」。
FIA-F4最終戦へは出場せず、誘いを受けたスーパー耐久に舵を切った。浅野レーシングサービスのGR86に乗り込み、目標であるSUPER GTに向けて、ハコ車のスペシャリストになるための挑戦が始まった。

「最初はフォーミュラで曲がれたスピードで曲がれないなど、ハコ車とフォーミュラの違いに戸惑いました。ですが少しずつ慣れていき、思い通りにクルマを動かせるようになってきました」。
2023年からは浅野レーシングサービスのBドライバーに定着し、各レースの重要な場面でハンドルを握るエースとして活躍している。最終戦では表彰台も獲得。2024年からはレーシングスクールGoTakeのインストラクターとしても活躍する26歳の伊藤選手は、夢のSUPER GTを目指して挑戦を続けている。