全日本GT選手権(JGTC、現:SUPER GT)やスーパー耐久など、国内最高峰のレースで複数のシリーズチャンピオンを獲得してきた青木孝行選手。FJ1600で始まったレースキャリアは30年を超えた。長いキャリアのほとんどを過ごした「GT」へいたる道のりやシート獲得までの苦労、これからの展望を聞いた。
走るために昼も夜も仕事
レース漫画「F」を読んでモータースポーツへの興味を持った少年時代の青木選手は、1980年代を彩ったアイルトン・セナとアラン・プロストの激闘にくぎづけになった。高校を卒業してすぐに免許を取得。最初の愛車には当時若者たちの定番車種の一角をしめていたR32型スカイライン Type-Mを購入した。
学生時代は自動車整備の専門学校に通いつつ、愛車で峠やサーキットに繰り出す日々。次第にレースへの思いが募り、当時自宅から近かった鈴鹿サーキットのガレージに飛び込んだ。マシンは若手ドライバーの登竜門になっていたFJ1600だ。

FJ1600でレース活動を開始したのは、就職して間もない21歳だった。トヨタのディーラーでの昼勤務とスナックでの夜勤で資金を蓄えるが、それでも足りずにコンピューターの製造現場に転職した。朝8時から仕事を始め、すべてが終わるのは午前1時という日々だった。
「25、6歳まではそんな生活でした。クルマも走る事も大好きで、やりたいと思い続けたから頑張れたんです。逆にそれくらいできないとレースはできないと思っていましたね。毎月の支払いをとにかく頑張っていたので、いくら使ったかもよく覚えていません。借金だけはしないように気をつけていました」
速いライバルとの出会い、そして走りを分析する日々
デビューした当時のFJ1600には、今もライバルである高木真一選手も出場していた。また、当時のFJ1600は参戦台数が非常に多く、予選落ちも多数。それまで速さに自身のあった青木選手は周囲との差に圧倒される。
「予選落ちして初めて速い人に出会ったんです。なかでも高木選手は異次元の速さでした」
ようやく予選を通過できたのは3戦目だった。エントラントの多さからスポーツ走行枠も限定され、十分な練習を積むこともできなかったという。経験の差は走行外の時間にできる努力で埋め合わせた。
「今とは違ってシミュレーターでの練習もできないので、車載カメラのビデオ映像を分析し、自分の走りをストップウォッチで測りました。新しい気づきがどんどん見つかる分析と解析は当時から好きでした」